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この小説は、1900年初頭、希代の相場士として活躍し、相場史上に名を残す伝説の投機家リバモアが、どのように投機家としての名声を高めていったかを記した、ウォールストリートのジャーナリストによる伝記である。実務に従事していない私であっても、あるいは、実務に従事していない私だからこそ、この小説を手にとって読み始めると、リバモアの世界に引き込まれ、時間のたつのを忘れて、読み進めてしまう。それほどエキサイティングな本である。
この小説から何を読みとるか、あるいは、リバモアの生涯から何を教訓とするかは、読み手のおかれている立場によってさまざまだろう。もしかすると、この小説を読んで、いかにして投機家として儲け、優れた投機家となるかを修得することができるかもしれない。
しかし、むしろ、どのようにしてリバモアが相場史上に残る投機家となったのか、あるいは、見方を変えて、どのようにして市場がリバモアのような投機家をつくり出したのかを読みとることのほうが、私達にとって大切なのかもしれない。
リバモアは投機の天才であったかもしれないが、常勝していたわけでなはかった。たまには大きな損失を被ったと記してある。しかし、リバモアが大きく儲けるということが市場に噂として流れていったことが、さらに、その噂に基づいて、市場がリバモアに追随していったことのほうが、印象深い。
このことは、一人の著名な投機家やノーベル賞を受賞した経済学者によって運営されたヘッジ・ファンドに金融機関が追随し、そしてヘッジファンドとともに大きな損失を被った最近の状況にきわめて類似している。まさしく、ここに投機家の群衆行動が見出される。群衆行動が総体化されると、相場がファンダメンタルズから乖離して、自己実現的投機が成就する可能性が高まる。
市場はなぜ投機王リバモアを恐れながらも、投機王リバモアを創り出したのだろうか。あるいは、なぜ市場は投機王リバモアをつくり出す必要があったのだろうか。投機家達が群衆行動をとるためには、その先導者を必要とするのである。市場が総体化してある方向に動くことを誰よりも早く予測することが重要であって、その動きがファンダメンタルズに基づいていようと、サンスポット(太陽の黒点)に基づいていようと、あるいは、投機王リバモアが先導していようと、関係ないのであろう。要するに
、市場は群衆行動を起こすための象徴(あるいは偶像)を欲しているのかもしれない。
驚きは、この点に関して、情報化時代といわれる現代でさえリバモアの時代と同じであるということである。このことは、情報化が進展しようとも、情報収集能力や情報分析能力の点で投機家間の異質性が変わらないことを表わしているのかもしれない。あるいは、投機家の行動原理が昔から変わらず、市場の先導者(たとえそれが偶像であろうとも)を探し、それに追随していこうというものなのかもしれない。
市場とは何か、そして、市場がどのようにして市場の先導者をつくり上げているかを 知りうる絶好の書である。
一橋大学商学部教授 小川英治
(出所:金融財政事情 1999.7.26)
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