F002
外国為替取引マニュアル 第2巻
外国為替の相場予測
テキスト
(21頁)
120分 林 康史 12,500円
外国為替取引マニュアル 第2巻
元・外国為替ディーラー、マーケット・エコノミストとして
著名な林 康史氏による体系的な外国為替取引講座
講師 林 康史 (はやし やすし)
立正大学経済学部教授


◎時間と価格 ◎予測手法

◆外国為替相場の変動を読む

1)マーフィーの法則
  
2)セクター・ローテーション
  
3)景気・金利・物価

◆外国為替相場の変動要因

1)需給 

2)ファンダメンタルズ 

3)経済指標 

4)購買力平価説 

5)国際収支説 

6)為替心理説

7)ケインズの美人投票 

8)コントラリーオピニオン 

9)噂・風説 

10)アセットアプローチ

11)政治との関係 

12)通貨政策 

13)マサチューセッツ・アベニュー・モデル
  • マサチユーセッツ・アペニュー・モデルに関する議論
  • 解説 2年のラグの法則について
  • 為替レート調整は機能するか? 構造重視派の考え方
  • 為替レート調整は必要か? シュモーイストの考え方
  • 為替レート調整は競争力問題の正しい対応策か? セキュラリストの考え方
  • 解説 日本の経常黒字増加は円高要因か?
  • ポリシー・ミックス
  • 金融政策と通貨政策の関係
  • MAMにおける財政赤字削減のケース
  • 大蔵省はディマンド・スイッチング政策を採用したか
  • 米国のドル高容認政策

◆外国為替相場の変動を読む
1)マーフィーの法則
 「マーフィーの法則」というイギリスの慣用句がある。わが国ではあまり知られていない憤用句だが〈経験から生まれた種々のユーモラスな知恵〉とか〈物事の不条理などに関する一連の警句〉とかいう意味らしい。
例を挙げれば「10人、人がいれば、2人が味方で、2人が敵。残る6人は中間派でどっちへも付く」、「立食パーティー場での人の動きは、時計の針と同じまわり方をする」みたいなものだ。井上ひさし氏によると「マーフィーの法則とは、諺よりはやや合理的であるが、科学上の法則よりはずっと不合理な法則もどき。仕事の進め方や時間管理や組織づくりについての、ユーモラスな警句。科学者や技術者や実務家の信じているらしい、あまりあてにならぬ法則」(井上ひざし『すぽ−つ・ふらすとれいてっど』)。マーフィーの法則とは、本当かなと思わせる一方、実はそうでもないかもしれない、そういう法則めいたものということだろう。

 実は、このマーフィーの法則は、相場予測、いや、経済予測についてすら当てはまることではないかと思われる。一般に信じられている経済学上の法則は、左打者は左投手に弱いというのに似てはいまいか。相対的なものかもしれないということである。外国為替相場の場合も、特に完成ざれたセオリーがなく、誰も外国為替相場がどうして動くか特定できないでいる。普遍的なセオリーがあるということ自体あやふやなのである。学者の先生には怒られそうだが、われわれの理論というのはけっこう曖味な面がある。いい加滅だと言ってしまうと語弊があるが、ころころ変わる、その都度その都度変わる可能性があるということは否定できない。

 具体例で考察してみよう。
 たとえば、外国為替相場の金利説。確かに短期的には金利の低い国から高い国へ資本が移動することはありえそうだが、本来的には、特に債権大国という意味では、繁栄している国の金利は低く、また、繁栄している国の通貨が弱いはずはない。短期的にでも金利低下局面では債券買いが入ってくる可能性もある。さらには、外国為替相場の予測に使う金利は、名目ではなく、名目金利を物価上昇率で割り引いた実質金利(ざらに理論的にいえば実質金利でなく、インフレ期待)が重要となるはずであるが、実際には実質金利を判断基準に採用しているディーラーはいない。インフレ期待は計測が困難だし、物価上昇率はどの基準を使えばよいのかが不明だからである。

 財政刺激で考えると、財政で景気を刺激した場合、その国の通貨に与える影響はプラスと判断ざれる。景気浮揚とかインフレ懸念による金融引き締めという連想で、海外から資金が入ってくると考えられるからだ。しかし、そうした考え方は実は最近のもので、古典的な解釈だと財政刺激は財政赤字に繋がり、インフレも起こって通貨の購員力は低下する。つまり、その国の通貨は弱くなると考えられていたものだ。
コペルニグス的ともいうべき発想の転換が近年になって起こっていたのである。この種の話は経済や相場の理論全般にいえることだと思う。実際に、経済状況や相場が一般的に信じられている理論とは反対に動いた時期も多い。ある本にドル・円相場には石油価格が重要とあった。確かに、一つの要因ではあろうし、石油価格が決定要因として機能していた時期もあったことは認めるが、最も重要だという意見に同意はし難い。

 また、少し昔の外国為替のテキストに外国為替相場の材料としての主要情報がドル高・円安とドル安・円高のニつに区分されて載っているのがあった。その区分が現状と少し違う印象を受けたので、念のために何人かのディーラーに区分し直してもらったところ、やはり意見の分かれる項目があった。
全員がテキストと反対の答えを選んだのは米国のGNP成長率の増加。テキストではドル安になっている。これは何もテキストが間違っていたのではなく、状況や捉え方が変わったのである。

 また、容易に想像できたことだが、インフレ、金利、マネー・サプライ、在庫などの項目の捉え方にばらつきが見られた。つまり、両面あって、どちらでもシナリオが描けるということだろう。どちらも一概には間違いとはいえないのである。短期的に考えるか長期的に考えるかによっても答えは変わってくる。時代とともに捉え方がまるっきり反対に変わったものもあれば、ディーラーごとに捉え方がずれているものもあるということだ。
実際の相場では、いずれの理論が市場参加者に説得力を持ちうるか−−そういうことだろう。ケインズも「私の持っている情報が変化するならば、私は自分の意見を変えます」といっている。経済は自然科学のようにはいかない。正しい理論も状況が変われば間違ったものとなることがある。誤解を虞れずにいうと、相場の原理はマーフィーの法期、つまり、絶対的心理ではないと考えられるのである。

 また、相場に限らず、人類の歴史を見ていくと、どうしてそういうトレンドが発生したかがわからないということもある。最初の一歩あるいは数歩があまり合埋的でない歴史を作っていくということもある。性能の劣ったザソリン車が蒸気車や電気車を凌駕した理由はよくわかっていない。ビデオのVHSとβの争いもどこかでそういう流れが生じたのである。

 相場に関する埋論はマーフィーの法則に近い、あるいは、どこまでも実証ざれない仮説であるといえよう。マーフィーの法則というと、思考経済の法則を想起ざれるかもしれない。思考経済の法期とは、同じ現象を説明するのに互いに相容れない二つ以上の理論や仮説があるとき、単純な理論のほうがベターだとする説である。
 市場参加者には魅力的な説ではある。イギリスの神学者ハーバートに「何も知らない者は何も疑わない」という言葉がある。要は、知らない者は強いということなのだろうが、どっこい、相場はそれほど簡単でもない。説明力と予測力が単純さに比例するはずもない。風が吹けば桶屋が儲かるという話以上に複雑な動きとなることだってある。
 ここでいうマーフィーの法則が思考経済の法則と似て非なるものであることはいうまでもない。また、これはディーラーの立場からの私的意見だが、たとえ偉大な学者の正しい理論も現実の前には無力となることもあるということをはっきり知っておれば、誰が何を一言っていようが精神的バイアスを受けずにすむという副産物もある。


13)マサチューセッツ・アベニュー・モデル
 通貨政策に携わる国際経済学者のほとんどがコンセンサスとする国際収支調整の基本モデルがある。これは、1960年代にロバート・A・マンデルとJ・マルコス・フレミングが考案したモデル(マンデル=フレミング・モデル)に、インフレと為替変動に対する期待形成を組み入んだものである。
 このマンデル=フレミング・モデルの修正版は「マサチューセッツ・アベニュー」モデルと呼ばれる(クルーグマンによる命名)。その理由は、米国で現在このモデルを支持する主だった経済学者が、ケンブリッジのマサチューセッツ通りかワシントンのマサチューセソツ通り、あるいはその近隣で活躍していることによる。
 このモデルを採用している主要機関として、ケンプリッジにはハーバード大学、マサチューセッツ工科大学全米経済研究所がある。ワシントンのマサチューセッツ通りには、ブルッキングス研究所や国際経済研究所があり、この通りから数ブロック離れたところには、連邦準備制度理事会がある。

 マサチューセッツ・アベニユー・モデルは、いくつかの重要な関係式にまとめられる。ここでは、もっとも単純なモデルを紹介する。
 単純モデルの第一の構成要素は、需要が生産を決定するというケインズ理論である。ある国で生産される財に対する需要は、その国の国内支出と純輪出の和である。国内支出は少なくとも所得と実質金利に依存する。
 第二の構成要素は純輪出方程式である。純輪出は少なくとも国内所得と海外所得、実質為替レートに依存すると仮定される。この方程式には、簡単に変数を加えることができる。例えば、需要、支出、生産のいずれにも資産価格や将来の期待所得を変数として加えることができる。ただ、実際には、これらの変数を加えたところでそれほど推定式の説明力は高まらない。むしろ、輪入および輪出がそれぞれ国内および海外の所得に関して一定の弾性値を持つ、という単純な関係式のほうがうまく機能するようである。

 また、実質為替レートの純輪出への影響については、ラグを考慮に入れることを忘れてはならない。実証モデルでは、いずれも貿易収支の為替レートに対する反応にかなりのラグが見られる。これは驚くことではない。というのも、輪入企業が輪入元を変更するには時間がかかり、潜在的な輪出企業が新しい市場を探しだして生産を始めるにはさらに時間がかかるからである。多くの実証モデルでは、為替レートが経常収支に与える影響は約2年のラグがあると考えられている。

 同時に、通貨の下落はかなり早く輪入価格に転嫁されて輪入価格の上昇を招くということも、多くの実証モデルが示唆している。結果的に、ほとんどのモデルで何らかのJカープ効果の存在が認められている。Jカーブ効果とは、為替レートが切り下がっても当初は貿易収支が悪化する現象のことである。これは、輪入数量が通貨の下落に伴って減少しても始めのうちは、自国通貨建ての輪入金額は価格上昇の影響で見かけ上膨らみ、一方で、輸出も徐々には増加するが、当初はこの貿易収支の悪化を打ち消すには十分増えないことから起こる。標準モデルの第三の構成要素は通常の金融部門である。中央銀行が決定するマネー・サブライ(M)は所得、物価、金利に依存する貨幣需要に等しくなければならない、というものであり、これには異論も少ないだろう。

 第四の構成要素は為替レートの決定式である。一般的な関係式は、次のようなものである。投資家は、国内と海外の金融資産の期待取益率が等しくなることを求める。投資家また、実質為替レートが何らかの長期期待レートに徐々に回掃していくと見る。例えば、毎年少しずつ実質為替レートと長期期待レートの差が絡まっていくことを想定してもよいだろう。当然ながら、これは実質為替レートが単に二国間の実質金利差の関数であるということを意味する。つまり、米国の実質金利が日本の実質金利に比べて上昇傾向にあればドルが強くなるということである。(マサチューセッツ・アベニュー・モデルにおける為替レートと経常収支の関係は、為替レートが原因で、経常収支が結果である。逆ではない。)。マサチューセッツ・アベニュー・を完成させるには、物価水準を決定する必要がある。一般的な関係式は、物価水準はあらかじめ決まっているというものである。その次に、インフレ率かが何らかの期待形成を組み込んだフィリッブス・カーブによって決定される。そこでは、インフレ率は潜在的な生産能力と実際の生産水準との差や期待インフレに依存して決定される。期待インフレ率は適応型の期待形成を前提としており、実際のインフレに反応して徐々に調整される。

 この標準モデルはIS・LMモデルの修正版であり、そこでは財市場と金融資産市場が同時に均衡することになる。これは動学モデルであり、モデルの動学性は、為替変動に対する輪出入の反応の鈍さ、フィリップス・カープにおける価格調整の緩慢さ、期待インフレ率に織り込まれる期持形成の遅行性などから発生する。このモデルでは、為替レートの貿易収支に対する調整がほぼ完了する中期を想定する。こうした中期モデルでは、長期にわたる物価やインフレ期待の変化を無視することができる。マンデル=フレミング・モデルでもこのような中期が暗に時間の定義になっているが、この簡便法が有効かどうかは実証面での問題となる。計量モデルから判断すると有効性があると考えられる。

 この簡便モデルでは、金融政策および財政政策の変化が国際収支にどういう結果をもたらすかが容易に理解できる。まず、財政政策を拡大するとどうなるか考えてみよう。財政支出の拡大は、国内で生産される財やナービスに対する需要を高め、生産の拡大をもたらす。しかし、生産が増加するにつれ、貨幣需要も増加し、金利が上昇する。これにより、民問投資のクラウディング・アウトが起こる。さらに、海外の金利に比較して国内の金利が上昇するため、自国通貨が上昇し、生産がどの水準にあっても純輸出が減少することになる。こうして、財政支出の拡大は、生産の拡大と為替レートの上昇をもたらし、さらに、これら2つの事象から純輪出の減少を招くことになる。

 次に、金融緩和政策をとるとどうなるか。まず、最初に金利が低下し、投資需要を刺激する。国内金利が海外の金利に比較して低下するため、自国通貨の下落が起こる。次に、自国通貨の下落は生産がどの水準にあっても純輪出を刺数し、景気拡大の第二過程に入る。経常収支に対する影響は明確ではないが、全体としての影響は、通貨の下落と生産の拡大である。金融緩和の結果、通貨の下落が生じると輪出は増加するが、生産の増加に伴う所得の増加によって、輸入も拡大するため、金融緩和の経常収支に与える影響は必ずしも明瞭ではない。

 財政支出を削減して、所得水準が変わらないように金融緩和を行うというポリシー・ミックスを想定してみよう。これは、所得水準を一定にしたままで自国適貨の下落をもたらすことになる。さらに、他のマクロ経済政策の変更とも関係のない為替レートの変動を想定することもできる。例えば、何らかの理由で長期の期待為替レートが下落したとしよう。G7閣僚の発言が原因ということもある。これにより、国内金利に変化がなくても為替レートの水準は下方にシフトする。これは純輪出を刺激し、景気拡大をもたらす。景気拡大は金利を押し上げるため、期待の変化が招いた自国通貨の下落と純輪出の増加を相殺しないまでも、鈍化させることになる。