K001
ノーベル経済学賞から学ぶ
  行動経済学の投資戦略 
テキスト
(40頁)
160分 三隅隆司
林 康史
17,000円
ノーベル経済学賞から学ぶ
  
行動経済学の投資戦略
人は不確実性下では合理的な判断をするとは限らない。すべての利用可能な情報は瞬時に価格に織り込まれる「効率的市場仮説」に対しては、行動ファイナンスの立場から反論が提示されている。ノーベル経済学賞を受賞したカーネマンの理論を読み解き、価格変動の理解・予測、投資戦略に有効な「行動経済学」を解説します。

三隅 隆司(みすみ たかし) 
一橋大学大学院 商学研究科 助教授

(120分)
標準的経済学 vs. 行動経済学
簡便法/プロスペクト理論/心理的勘定
行動ファイナンス
認知的不協和の理論
林 康史(はやし やすし) 
立正大学経済学部教授 

(40分)
実践的立場から…価格形成と市場アノマリー 

伝統的な経済学における前提
 いわゆる伝統的な経済学においては、いついかなる場合においても首尾一貫した思考・態度を有する人間が、意思決定によってもたらされる結果から得られる満足度(これを経済学では「効用」とよぶ)を最大にするような選択肢を選ぶことが想定されてきた。すなわち、人間は「合理的存在」とみなされてきたのである。
経済学における「効用」は、だれもが納得すると思われる「人間の好み」(「選好」とよぶ)に関する性質にもとづいて導出されたものであり、その意味で必ずしも批判の対象となるようなものではない。また、自らの効用(満足度)を最大にするように行動するという意思決定基準についても、納得できる。しかしながら、この「合理的経済人による合理的選択」という経済学の想定は、無限の選択肢の中から自分の満足度をもっとも高めるものを瞬時に選択する能力を人間に与えるものとなっており、その点についてはこれまでも多くの批判が出されてきた。
 もちろん、合理的経済人の想定に批判があることは、経済学も十分承知している。経済学者は次のように言う。「イチロー選手は、バッター・ボックスの中で力学に関する複雑な微分方程式を瞬時に解いた上でバットを振っているわけではないけれども、現実にヒットを量産している。その理由は、イチロー選手があたかも("as if")そのような複雑な計算をしたかのように的確なバット・コントロールを行っているからだ。経済学の理論も同様である。人々が現実に効用を最大化していようがいまいが、そこから得られる結論が人々の現実の行動をうまく描写・説明できるのであれば、それでよいのだ」と。そして確かに、効用理論に立脚した経済学(消費者行動の理論)は、右下がりの需要関数という、われわれにとってなじみのある結論を導出してきた。それで十分でだ、というのである。
 また別の経済学者は、市場メカニズムの機能を取り上げて次のように言うかもしれない。「自らの効用を最大にしないという意味で非合理的な行動をとっている経済主体は、競争的環境においては生き残ることはできないだろう。それゆえ、合理的経済人だけを想定することは、決して不当なことではないのだ」と。この考えは、「非合理性を淘汰する」存在としての市場メカニズムへの信頼(市場の合理性)を基礎としている。
 以上のように、人間および市場の合理性を前提として、伝統的な経済学の体系が作り上げられてきたのである。

行動経済学とは
 これに対して行動経済学は、時と場所が異なれば人間の思考・態度は変わりうるという意味で、人間の合理性には限界があることを前提としている。例えば次の問題について考えてほしい。

 問題1:
ある町に、規模の異なる2つの病院がある。毎日赤ん坊が、大きな病院では約45人、小さな病院では約15人生まれている。赤ん坊のほぼ50%は男子であるはずだが、現実は日によって異なり、50%より多い日もあれば少ない日もある。一年間にわたって、各病院では、男児の比率が六〇%を超えた日を記録した。あなたは、こうした日は、どちらの病院で多かったと思うか?


 あなたの答はどのようなものだろうか。トヴァスキー(Tversky, A.)とカーネマン(Kahneman, D.)の実験によると、多くの人は「大体同じ」と回答したという。しかし、統計理論から考えると、サンプルの数が少ないほど極端な値が出やすくなるのであり、「小さな病院の方が多い」というのが正解である。このように確率によって表される規則性が、サンプルの大きさに関係なく成立すると考える人間の判断傾向をカーネマンらは「少数の法則」と呼んだ。
次の問題もカーネマンとトヴァスキーによるものである。



資産価格の動向
 これまでの説明から理解できるように、一般に、短期的には順張り戦略が、長期的には逆張り戦略が有効である。このことを資産価格の動向という観点から見た場合、当該資産の価格に影響を与えるなんらかの情報が市場に現れると、短期的にはそれに対して過小反応するが、長期的には過剰反応となる傾向があることを意味している。
なぜこのような価格動向がみられるのだろうか。この点については、投資家の自信過剰(overconfidence)と自己奉仕的帰属バイアス(self-serving attribution bias)という2つの人間心理を用いた説明が提示されている(Daniel, K. , Hirshleifer, D. and A. Subramanyam, "Investor Psychology and Stock Market Under- and Overreactions," Journal of Finance, 1998, Vol.53, pp.1839-1885) 。
 彼らは、証券価格に影響を与える情報として、私的情報(自分が独自の情報生産を行うことによって獲得した情報)と公開情報(すべての人が知っている情報)とが存在することを想定する。
さらに彼らは、人間の心理的バイアスとして2つの特徴を想定する。一つは、「自信過剰」である。人間は一般に、自分の能力に対して、実際よりも高く評価する傾向にある。「2つの選択肢の中から正解と思う選択肢を1つえらび、それが本当に正解である確率を予測する」という課題を提示して実験を行った結果、正答率に比べて予想正解率の方がかなり高くなることが示されている。たとえば、過去8ヶ月の株価データを用いて、約5週間後の株価の動向を予測するという課題を行ったところ、正答率は47.2%であったのに対し、各人の予想正解率は65.4%であった。このように、人間は、自らの能力に過剰な自身を有しているのである。
もう1つのバイアスは「自己奉仕的帰属バイアス」である。自分の身の回りに生じるさまざまな現象や人間の行動の原因を推論することを帰属(attribution)という。帰属には、自己の行為に対して行う帰属(自己帰属)と他者への因果関係の帰属(他者帰属)とがある。人間の行動の原因としては、その人自身の性格・態度・能力などの内的な要因と、社会的影響や自然・物理的環境などの外的な要因とがある。このうち、自己の行動の原因については外的な要因への帰属が、他者の行動の原因については内的な要因への帰属が強いことが知られている。
自己の行動を内的な要因へ帰属する傾向は、自分自身の能力を自己評価したり、自分の行動の説明づけを行う場合に、自己を過大評価してしまうというバイアスを生じさせる。大学教授の94%は、自分が同僚よりも有能であると考えている。家を持ったり高給を稼ぐという好ましい出来事を経験する可能性が自分は他人より高いと考える一方で、離婚したり肺ガンを患うといった望ましくない出来事を経験する可能性は低いと考えている。

 また、成功や失敗の原因についても自分自身に甘い評価をしがちであることも指摘されている。人は、自分の成功の原因を自分自身の能力に求める一方で、失敗の原因は外的な要因のせいにしがちである。スポーツ選手は、勝利の原因を自分自身の貢献にあるとする一方で、敗北は審判や運のせいにしがちである。学生は、試験の成績がよかったことを自分の知識が正当に評価されたと考える一方で、悪い成績の場合には、問題が不公平であったり不適切であったと考える傾向にある。学会誌に研究論文を投稿して採択されなかった研究者は、その原因を見る目のないレフェリーのせいにするなど外的な要因に責任を帰す一方で、論文が採択された研究者は、それがたまたまよいレフェリーにあたったためであるとはほとんど考えない(以上にあげた帰属イアスに関する例は、T. ギロビッチ、守一雄・守秀子 訳 『人間:この信じやすきもの』 新曜社、1993年、によっている)。
このように、作業の結果を自身によって好ましい意味を持つように解釈・説明する傾向を自己奉仕的帰属バイアス(self-serving attributional biases)という。
以上2つの概念を用いて、ダニエルたちの理論を説明しよう。
投資家が自分の入手した私的な情報にもとづいて投資行動(株式の購入等)を行ったとしよう。そして、その後、次々に公開情報が市場に現れるとする。ここで、公開情報としては、その投資家の行動を支持するものとそれに反するものとがほぼ同数現れるとする。

 投資家の行動は時間を通じてどのように変化するだろうか。自信過剰な投資家は、株式購入直後は自らの獲得した情報に自信を有しており、公的情報にはさほどの関心は払わないだろう。さらに、自己奉仕的帰属バイアスを有する投資家は、自分の投資行動を支持する公開情報には反応する一方で、自分の投資行動に反する公開情報は無視する傾向にある。これらはいずれも、投資家が自らの投資行動を過度に持続する可能性を発生させることになる。その後時間がたつにしたがって、投資家は次第に冷静になり、自分の投資行動にネガティブな情報に対しても反応するようになる。その結果、当初の行動の行き過ぎを修正すべく、投資行動を変化させるのである。ダニエルらは、投資家行動のこのような時系列的な傾向が、短期的な順張り戦略・長期的な逆張り戦略の有効性を支持する資産価格動向を生みだすものと指摘したのである。